ブログタイトルを変えてみた

どこかで聞いたことのあるタイトルに、形式をお借りした。

単純に、好きな本をコラムっぽく紹介することがしんどくなったからだ。

 

私は図書館司書として働いている。

昔、ブックオフの値段のシールがついたままの本を読んでいた。

私が司書であることを知っている人から、「司書なのにブックオフで本買うんですね(笑)図書館にいっぱい本あるじゃないですか」と言われた。

彼女に悪気はなかったであろう。

 

ただ、私はほとんど図書館を利用しない。

一個人として、図書館が決めたタイミングや期間で本を読む、ということ自体に苦痛を感じる。

私は自分のタイミングで、ペースで本を読みたい。

だから、本は買う。

 

人生の中で図書館を頻繁に使っていたのは、大学時代と司書資格の取得時だけだ。

卒業してから聞くと、私はいつも図書館にいるイメージだったらしい。

値段の高くて重たい辞書や、絶版の本や、論文データベースにどれだけ助けられたか。

図書館情報学関連の本が揃っているありがたさたるや。

何かを知りたい、調べたいと思ったときには図書館なのである。

ただ、今、そう思ってくれる人がどのくらいいるだろうか。

 

図書館の使い方は、使う人の自由だ。

使い倒してほしい。

図書館は司書のものではない。使う人のものだ。

質問するときに「お仕事増やしちゃってごめんなさいね」というご婦人に、笑顔で「質問にお答えするのが仕事ですから、どんどん聞いてください」と答えなくてはならないという事実。

 

大それたことを書くつもりはない。

司書として図書館や司書という仕事について書くこともあるだろうし、一個人として買って読んだ本のことを書くこともあるだろう。

 

ただ、本が好きなのだ。

本は時空を超える。書いた人が見て、聞いて、感じた空気が綴じ込められている。

このちいさな宇宙を開くときの喜びは、いくつになっても変わらない。

そのささやかで美しい時間を、私もまた綴じ込めていきたい。

 

キクラゲから考える

BOOKMARK 緊急特集 2022.6

ひたひたと値上げの足音が聞こえてくる。

一円でも安いものを、という自制心と、

いや、ここだけは譲れないから高くても買う、という決意。

 

今日はサンラータンを作ったが、個人的にキクラゲは譲れない。

秒で300円のキクラゲに手を伸ばした私に、迷いはなかった。

結果、あの唯一無二の食感と味の染みたキクラゲは、私のお腹と心を満たすのに十二分だった。

 

 

煽るような値上げのニュースは、思考停止を招く。

 

諦めと我慢。

それらの連続が生みだす精神と生活の疲弊。

考えない方が楽に生きられる社会。

 

想像でしかない。そして、今までに見聞きしてきたことから、私的に学んだことでしかない。

それでも、こう思うのだ。

これは市井の人々が戦争という渦の中に巻き込まれていく過程に似ているのではないか、と。

 

 

ロシアによるウクライナ侵攻から4か月が経った。

日々のニュースに胸を痛めたり、怒りを感じたり、本当に同じ地球上で起こっていることなのだろうかと悲しくなったりしている。

と同時に考える。戦争がひたひたと足音を響かせてきたときに、自分はどうするだろうかと。

答えは見つかっていない。

 

戦争の渦中でも、考えることをやめない、生きることを諦めない人たちがいた。

その人たちの声に耳を傾けることから始めたい。

 

誰も、私が考えることを止めることはできない。考えることは人を自由にする。

戦争を起こさないために、考えるための下地を耕し続けること。

こう書きながら、身の引き締まる思いである。

 

着るものがあり、食べることができ、住むところがあり、仕事があり、読み書き考えることができる。

この今に感謝しながら、キクラゲを噛みしめる。

自制心に先を譲らなくてよかった。

 

小説とは時間

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『埋葬』(横田創 早川書房) 図書館のラベルが見えないように…

久しぶりに小説を読んだ。

私は「今、私は小説を読む体力と気分と時間を十分に持ち合わせている」と感じた時に、小説を読む。

今回は、幸運にもその瞬間に、想像を超える深さと広さをたたえた物語の水槽に勢いよく飛び込むことができた。一気に泳ぎ切った。

 

三十歳前後と見られる若い女と生後一年ほどの幼児の遺体が発見された。犯人の少年に死刑判決が下されるが、まもなく夫が手記を発表する。

その手記が連綿と綴られていく。遺体となった妻と子を抱いて、車へと走り出す。ある約束を果たすために、必死に目的地へと車を走らせる。過去と現実、焦りと冷静が入り混じる中で、夜の高速道路の描写はその場の空気を伝えてくれる。料金所や、深夜のサービスエリアでの、赤の他人との接触。そのやりとりが、夫の混濁した意識を浮き彫りにする。

手記の合間に、事件を取材する「わたし」が関係者へ行ったインタビューが入る。夫とは違った視点で、妻がどんな人物だったのかが炙り出されていく。

手記の全文引用が終わると、「わたし」の少年へのインタビューが始まる。事件について、そして女と子について語る少年の言葉は、聞く者を取り残し、大きな滝のように流れていく。その言葉を一言たりとも逃すまいと、気づけば前のめりになっていた。

 

小説は描かれる世界を楽しむもの。楽しんでいる時間こそが小説なのだと、書いていて気づいた。

では、今、小説について書いている時間は何なのか。それも小説の続きなのかなと思う。

丁寧に、大胆に

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今日は休みで、雑誌を読んでいます。

 

読むとき、傍らにあってほしいのがお茶です。

私は食器棚にお茶コーナーをつくって、自分で買ったものだけでなく、いただいたものも並べています。

その日の気分でお茶を選ぶ、ちょっとした楽しみと贅沢です。

 

今日はTe Deのカモミールティーを選びました。

マグカップTHREE PANSというブランドのものです。

どちらも、ふらっと立ち寄ったデパートの催事で出会いました。

 

Te Deは、福祉作業所に通う耳の聞こえない「なかま達」がつくる製品のブランド。

彼らの手によって丁寧につくられた製品はどれも魅力的です。

ノンカフェインのオーガニックハーブティ。爽やかな香りでリフレッシュできます。

 

マグカップは一目惚れでした。

ネパールの職人さんたちが丁寧につくったもので、手に持った瞬間、あたたかみを感じました。

口当たりもとっても自然で、長く付き合っていきたいお気に入りです。

 

本との出会いも、ものとの出会いも、これだ!と感じた瞬間を大切にしています。

今読んでいる雑誌の中にも、出会いがあるかも。

読むこと

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左『読む人』(林哲夫 みずのわ出版) 右『読む時間』(アンドレ・ケルテス 創元社

仕事上、人が本や雑誌、新聞を読んでいる姿をたくさん目にします。

 

食い入るような姿勢で、物語に引き込まれていく姿。

本棚とにらめっこして、選んだ本を丁寧に開く姿。

神妙な面持ちで、じっくり、ゆっくり、新聞をめくる姿。

 

私は常々、その姿を美しいと思っていました。

誰も立ち入ることのできない、その人だけの世界があるのです。

 

写真の本は、スケッチと写真でその姿と世界を切り取り、封じ込めています。

 

『読む人』はタイトル通り、読む人をスケッチした本です。

姿勢、視線、表情、指のかたちや置き方、本との距離。

こういう人いる!こんな読み方もあるのか!と面白い発見ができます。

自分の読んでいる姿はどう見えているのか、知りたくもなります。

ちなみに、この本とは岡山の倉敷にある蟲文庫で出会いました。

 

『読む時間』は、ページをめくるたびに読む人が愛しくなります。

私は、写真ははっとした瞬間をとらえて、その空気を切り取るものだと思っています。

この本にはそんな瞬間がたくさんつまっています。ユーモアもたっぷり。

巻頭にある谷川俊太郎さんの詩も、読むことをみずみずしく表しています。

 

書いていたら読みたくなってきたので、今日はここまで。

六花舞う日に

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司書の端くれです。

ただ本とそのまわりのことを書きたくて、ブログを始めてみました。

 

写真はお気に入りのブローチです。

名古屋の東山公園にあるON READINGという素敵な本屋さんで買ったものです。

名古屋に行くと必ず行く本屋さんです。

居心地のよい店内で、静かに美しい本の海を漂って、ついつい時間を忘れてしまいます。

 

小説は苦手です。

詩やエッセイが好きです。

 

誰かのためではなく、自分のために書きます。

でも、それが誰かのためになっていたとしたら嬉しい、なんておこがましいですね。