キクラゲから考える
ひたひたと値上げの足音が聞こえてくる。
一円でも安いものを、という自制心と、
いや、ここだけは譲れないから高くても買う、という決意。
今日はサンラータンを作ったが、個人的にキクラゲは譲れない。
秒で300円のキクラゲに手を伸ばした私に、迷いはなかった。
結果、あの唯一無二の食感と味の染みたキクラゲは、私のお腹と心を満たすのに十二分だった。
煽るような値上げのニュースは、思考停止を招く。
諦めと我慢。
それらの連続が生みだす精神と生活の疲弊。
考えない方が楽に生きられる社会。
想像でしかない。そして、今までに見聞きしてきたことから、私的に学んだことでしかない。
それでも、こう思うのだ。
これは市井の人々が戦争という渦の中に巻き込まれていく過程に似ているのではないか、と。
ロシアによるウクライナ侵攻から4か月が経った。
日々のニュースに胸を痛めたり、怒りを感じたり、本当に同じ地球上で起こっていることなのだろうかと悲しくなったりしている。
と同時に考える。戦争がひたひたと足音を響かせてきたときに、自分はどうするだろうかと。
答えは見つかっていない。
戦争の渦中でも、考えることをやめない、生きることを諦めない人たちがいた。
その人たちの声に耳を傾けることから始めたい。
誰も、私が考えることを止めることはできない。考えることは人を自由にする。
戦争を起こさないために、考えるための下地を耕し続けること。
こう書きながら、身の引き締まる思いである。
着るものがあり、食べることができ、住むところがあり、仕事があり、読み書き考えることができる。
この今に感謝しながら、キクラゲを噛みしめる。
自制心に先を譲らなくてよかった。